怪我も含めて”作る”だねぇ。


なんとなく作った。

なんとなくではすまない事もある。


時期もばらばら、思い出すままに作ったものを、、
なんとなく作るというか、一時期は楽器を良く作っていた、弾けないのに。

バイオリンとコントラバスとチエンバロのお得なセット。
ハンズ大賞で内田茂賞をもらった。
チェンバロは結局ここでも時間切れで一オクターブ分しか音がでないという失態。
キータッチはくそ重いので、かぼそい指のピアニストなんぞにはとうてい音はだせない、本当の紛い物。
がんばって作ったのは自分でもみとめるんだが。

チェロ
自分では、これはかなりのお気に入り。
自分の作ったもので一番美しいと思っているけど、あんまり皆気にしてくれない。
得てして物作りなんてそんなものかもしれない。

ハンズ大賞にだしたものと同じデザイン。
珍しく、このデザインは何回か作った。
当時、弦物は多かったんだけど、なぜか弦の張り方を左右反対に張っていた。
多分、写真を見ながらやったからまちがえたんだろうなぁ。

これもハンズ大賞にだしたやつと同じ。
アメリカのアート雑誌の表紙を飾った。
ちなみに現在は、六本木は”スゥィートベイジル”にある。

これもアメリカの本。
鍛冶屋技術のHow to本、amazonで買えるらしい。

左上にコントラバス。

中段の左側のイス。
これは、ガチャガチャマックとセットにしているもの。

他にもなんかあるはずなんだけど、写真も残っていなければ本人も忘れている。
なんか、プロフィールなんぞを書かなければいけないときに自分の事を思い出すんだけど、本当になにをしていたか良く分からない年とかがある。
自由業にとっては、自分がやってきたことだけが自分の自信。
忘れちゃいけないけど年をとるごとになんか消えてる気がする。
気をつけねば。

そんななか、何年の事かは忘れてしまったけれど、忘れられない体験がある。
ブログでもちょっと触れた”丸焼け事件”

ハンズ大賞とかの後くらいだと思うから、二十歳とかそんなときだった。
ここは避暑地なので夏になればバーベQに皆が来たりする。

その時はオペラの方の知り合いグループで自分の師匠が主催。

その前の日に事件を起こした。

アセトンというFRPなんかを使うときに手を洗う溶剤があるんだけど、これを爆発させた。
そうやったら爆発するんじゃい?という疑問もあるだろうけど、思い出したくも無い話なのでパス。

頭に火が付いてホントにアフロになるは、着ていたGジャンはほとんど燃えるは洒落にならない事になった。
濡れタオル巻いて、車で病院へ。
その日は緊急入って、簡単な処置をして返された、ちょっと安心した。

次の日に、形成に行くと入院をすすめられる(前日は外科の先生だった)、その場でカルテ用に取ったポラロイドを見ると、血の気が引いた。
顔面以外、顔の脇、耳から首まで、黒に近い赤だった。(顔面はとっさに手で覆ったらしく無事。反射神経ってのは凄いと思った、もちろん手は焼けど)
ほんとにこの時ばっかりは、人生が変ってしまったと本気で思った。

即入院してからは、飯食って点滴の毎日。

何の因果がくしくも皇太子様かなんかの結婚式の日でテレビをつければ”おめでとーおめでとー!”窓の外には遠くに花火まで上がっている。
こっちはこの世の終わりくらいの気分なのに、、ほんとにシュールだと思った。

そのうち、退院のめどが立った5日目くらい。
じぃちゃんに”どうしたの?”って聞かれた。

じぃにも分かりやすくと、”アセトンといシンナーみたいな引火しやすい溶剤を仕事中にうっかり爆発させてしまって、火のついた溶剤をもろに浴びてしまった”と

そしたらこのクソジジィ、勝手に縮めて”シンナー爆発させて丸焼け”と触れ回ったらしく、”シンナー吸っていて爆発させた二十歳”に勝手に進化させられていた。

踏んだり蹴ったり。
いい加減疲れたので、そのままにしておいたが、じじぃは〆ておくべきだったと今も反省している。

そんなこんなで、6日に退院。
一ヶ月もしたら綺麗になって、病院で看護婦さんに話しかけるも”誰だかわからなかった”と言われるまでに回復。
若さって凄い。

そんなこんなで、物を作るのは面白いけど危ない事もやっぱり多い。
でも、危ないからってやらなければ何にも面白い事はないわけで、そんな気持ちもあってか野蛮な仕事につき物の怪我自慢。

まぁ、年とってくれば何が危ないとかも分かってくるんだけどさ。
多少の怪我なら若いうちにやっとくもんだ、なんて思ったりもするけど、なにをするでも気をつけましょう!

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