個展で社会を知る。


1992年に作りまくった。

初めての鉄と個展。


思い起こせば、1991年の夏休み。
アトリエに来て鉄をいじってみようという気になった。

それが始まり。

こんなの。

ベースギター
詳しくはこちら。

そして、上手い事リクルート主催の"FROM−A−THE−ART”なる公募点で佳作を頂く。
これにはおまけがあって、入賞者をリクルート本社に集め、プレゼンをさせて3人を選出。
今は別に移ってしまったんだけど、”ガーディアンガーデン”というところで個展をやらせてくれると。

しかしながらプレゼンの意味も良く分からなかった18歳の高校生。

しょうがないので、チャリンコオブジェを作りかけていたので持って行くことに。
なんだか回りの人はスライドに作品集にしっかりしていて、当たり前だけど美大生やら社会人やらなので皆様ちゃんとしてらっしゃる。
これはえらいところに来てしまったと思いつつ自分の番。

時間制限もあったんだけど、なんか偉そうな人々の前に立ちマイクを渡されても喋る事なんざ無い。
とてつもなく緊張したし。

正直に言うしかないと腹をくくって、”今作ってるのと、前につくったのしかないので期待してもらうしかないッス”と言って終わり。
なんか、泣きたくなったのを覚えている。

そしたら通った。
なんだかバブルも終わりかけの酔狂な時だった。

そんで、一年くらいの準備期間があって、1992年に個展。

場所は、渋谷のなんとか坂を上りきった所にある映画館の横、今はゲーセンになっていることろ。
今考えれば、ありえない立地に広さ。

これが、個展を謳われているのだけれど、実は壁面を絵の人が使っての”同時開催”、なんかトンチみたいな言いよう。
まぁ、文句は無いよ。

この壁面を使った人はまた唐突な女性で、たしか当時27〜8だったかな。
この時期にアトリエ欲しさに引越しをしたんだけど、引越し先がお寺。
広くてアトリエにちょうどいいと。
ついでに引っ越すだけじゃなくて、出家もした。

なんでも、女性は頭丸める必要もなく、早覚えお経読本みたいのもあると言っていた。
タバコ代をきらすとお賽銭にも手を出すという話を聞いたような聞かないような。
なんだろう、思い出すにビョーグににた雰囲気のなかなか綺麗な人だけど、素っ頓狂だった。

その、プレゼンに持っていたチャリンコの完成形。

めんどくさいものを律儀に作っている。
昔の自分は他人でかわいい。

チャリンコに見せかけてバイク。
50cc、原チャリ。

動くのかぁ?
っていつも言われる。
ハシゴがないと乗り降りできない。

もちろん嘘写真。
たまたま、アトリエの用事でクレーン車を借りていたので、先輩に手伝ってもらって撮った。
面白かった、ほんとに。
ちなみに、とあるペナルティーで友達をむりやり乗せた。

これもギター、指板がないのでこれは弾けない。
指板の部分は小さい板を使ってスライドさせて弾こうと思っていた。
たしか、間に合わなかったとかそんな理由で止めた。
ちなみに自分は楽器はさっぱり。

あと、チェンバロもどき。
この写真は後にハンズ大賞に出してみた時の写真。
この当時は、全然完成していなかったにもかかわらず、堂々と出品した。
今考えれば、恐ろしいことを平気でしていた。

思い起こせば、とったばっかりの免許で渋谷−山梨を3往復。
徹夜明けで、一度完全に居眠りして危ないところだった。

他でも触れたのだけれども私、おばあちゃんにとてもかわいがられていた。
個展なんぞといえば凄い数のハガキをだして、ありったけの友達を誘ってくれる。

個展当日の朝っぱら、オープン前から渋谷のど真ん中におばあちゃんの友達の列が出来た。

リクルートの担当からは”イスよりも座布団用意する?”と嫌味を言われ、なんというか恥ずかしかった、嬉しかったんだけどさ。

そんで、追い討ちをかけたのが同時開催の女坊主。

一応、坊さんなもんだから、檀家さんが見に来るわけで。
たまたま、彼女が居なかったときなんぞに限って檀家さんのグループが来たりして、兎に角、自分とこのおじぃおばぁと、彼女のところの檀家さんのおじぃおばぁをいっしょに相手しなければいけないわけで。
当時19歳になった社会人一年生にはなかなかキツイものがあるわけですよ。
正直、訳が分からなくなった記憶がある。

そいで、坊主の方はきっちり檀家さんからお包みもらってんの、俺が接待したのにさ。

罰当たりだ。

元気でやってんのかなぁ。

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